せんごく♦六法

刑事責任能力とは?戦国時代(今川仮名目録)と比べてみる

相手を怪我させるなどした場合、責任を負う必要があります。
では、この責任は何歳ぐらいから負うことになるのでしょうか?

戦国時代にも領国内に向けた法典=分国法というものがあります。
その中で今川仮名目録は責任能力について触れています。

今回は、現代の刑事責任能力について、戦国時代の今川仮名目録と比較しながら解説します。

刑事責任能力とは

刑法上の刑事責任能力とは事物の是非・善悪を弁別し、かつそれに従って行動する能力のことをいいます。

くじらおくん

うーん・・難しいでござる

マッコ先生

ではまず
責任能力について解説するでございます!

責任能力とは、自らが行った行為に責任を負うことができる能力のことです。この能力が認められるのは12歳前後とされています。

では、刑事責任能力ついて具体的にみていきましょう。

刑事責任能力とは、ある物事について正しいか正しくないのか、善いことか悪いことなのかの違いをはっきりと見分けることができてそれに従った行動ができるという能力です。

くじらおくん

責任能力より高度・・

刑事責任能力がない者は無責任能力者とされます。

刑法上、14歳に満たない者は心身共にまだ未熟であるため刑事責任を負わないとされています。

刑法 第41条
14歳に満たない者の行為は、これを罰しない。

では親の責任はどうなるのでしょうか。
子どもが未成年者の場合は親に監護責任あります。

これは、無制限ではなく要件が定めてあります。
親に監督義務違反があり、その義務違反と損害の間に相当の因果関係があれば責任を負うとされています。

但し、例え未成年者であっても責任能力を十分に認める場合には親が責任を負うことはありません。

戦国時代における責任能力

くじらおくん

戦国時代は動乱の真っ只中ですよね
責任能力について決まりなどあったんですか?

戦国時代では分国法なる法典が使用されていました
そこで責任能力に触れているものがござります!

分国法:今川仮名目録とは

分国法とは領国内の決まりごとです。

家臣を統制し領国経営を安定させ、領国内で起こりうる問題を防ぐために一部の戦国大名が分国法を制定しました。

マッコ先生

分国法には領地内を統制するための様々な決まりが定められています

今川仮名目録とは、今川氏が制定した分国法です。
土地境界線の争いや不法侵入者についての処理などの条文が制定されています。

その中で、子どもの刑事責任について触れている条文があります。

第十一条 子どもの喧嘩
1.子どもの喧嘩の事、子どもであるから是非の詮議におよばない。
但し、両方の親が制止すべきところ、喧嘩をけしかけ、あまつさえ鬱憤ばらしの行為におよぶなら父子ともに同罪として処刑すべきである。

第十二条 子どもの刑事責任年齢
1.子どもが誤って友人を殺害した場合、もともと意趣があってのことではないから処刑にはおよばない。
但し、十五歳以後については咎を免れ難いであろう。

子どもの喧嘩については、その是非を罪として取り調べるにはおよばないとしています。
さらに第十二条では、子どもの殺人について十五歳以後であれば罪として免れることは難しいとしています。

戦国時代では地域によっても異なりますが12歳~15,6歳くらいで元服(成人)とされていました。


くじらおくん

15歳以後は成人とされるから責任を問うことになるでござるね

このことから戦国時代においても罪を問う上で責任能力について評議されていたことが考えられます。

現在と戦国時代(今川仮名目録)の刑事責任能力の比較

マッコ先生

では改めて比較てみまする!

現在、刑法上では14歳に満たない場合は罰しないとしています。

これと比較して、戦国時代の今川仮名目録では子どもが友人を誤って殺害した場合は、罪となるのかの議論には及びません。
15歳以後であれば責任免れることは難しいとしています。

現在も戦国時代も刑事責任能力について問われる年齢は大きく変わらないということになります。

もちろん、法制度が現在のように確立されていない戦国時代では、慣習法により判断される事柄が多く一概にはいえません。

親の責任については、現刑法では、相当の因果関係が必要とされています。
これと比較して戦国時代の今川仮名目録では、子どもの喧嘩を親が制止せずにさらにけしかけるなどした場合は、親子共々同罪としています。

戦国時代では現在より地域の繋がりが密であり、ある者が罪を犯した場合、犯罪防止の観点からその者の身内や村単位で連帯責任を負わせるということが当たり前のように行われていました。

その点は現在と大きく異なります。
現刑法では、事件と関係のない者は罪には問われることはありません。事件を犯した者のみ罰せられます。

くじらおくん

戦国時代にも刑事責任能力についての法があったんでござるなぁ

まとめ

今回は、刑法上の刑事責任能力について、戦国時代における今川仮名目録と比較しました。

戦国時代における法典、分国法は今川氏の今川仮名目録だけでなく武田氏などの大名も制定しています。

これがどれくらい厳格に施行されていたのかは、分かりませんが、このような法典が現代の法律へ変化していったということはとても興味深いですね。

マッコ先生

では最後にもう一度内容を確認するでござりまする~

戦国時代にも刑事責任能力について記された法は存在した

現刑法上では14歳に満たない者の行為は罰しないとしている

戦国時代の今川仮名目録では15歳以後は罪を免れることは難しいとの条文がある

子どもが犯した罪の親の監護責任の追及には、現在は相当の因果関係があることを要する
戦国時代は、子どもの罪に対して親やその地域が連帯して責任を負う場合がある