現代では好きな人と自由に結婚することができ、また当事者だけの意思表示で離婚することができますが戦国時代ではどうだったのでしょうか?
戦国時代の結婚離婚事情を現代の法律と比較しながら解説していきます。
結婚様式の移り変わり
日本の中世では招婿婚(しょうせいこん)が主流でした。
招婿婚とは、婿入り婚とも呼ばれ結婚した後は夫が妻の家に同居するというものです。
今でいう婿養子みたいなものですね。
しかしこの慣習も鎌倉時代に入り武家政治の時代が到来すると武家の間では減っていき代わりに聚嫁婚(しゅうかこん)が主流となりました。
聚嫁婚とは嫁迎え婚とも呼ばれ結婚した後、夫が妻を自分の家に迎え入れるという現代と同じような形です。
室町時代になると公家も武家も聚嫁婚が当たり前になっていきました。
戦国時代の結婚
結婚事情
戦国時代の結婚は政略結婚だったので自由に結婚相手を選ぶことができず、自分の意思とは無関係に結婚をさせられていました。
仮にこれが現代だった場合は
婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。
一 人違いその他の事由によって当事者間に婚姻する意思がないとき。
当事者間に婚姻する意思がないとして政略結婚は無効となります。
ただし当事者がお家のためにと政略結婚を承諾した場合は婚姻する意思があるため有効に婚姻が成立します。
無効になると初めから婚姻が成立せず婚姻の効力を生じなかったものとして扱われます。
結婚年齢
戦国時代では、男子の場合元服すると結婚ができるようになり一般的にいうと男子は15歳から20歳までに元服を行い、一人前の男性とみなされるようになりました。
女子の場合は男子より少し早い10代中盤で大人の女性とみられていたようです。
実際は政略結婚などでもっと早く結婚することもありましたが、形式的に婚儀だけを取り交わし、実際の結婚生活はやはり10代中盤だったそうです。
ここで現代はというと
男は18歳、女は16歳にならなければ婚姻をすることができない。
どうでしょう、戦国時代も現代も結婚ができる年齢についてはあまり変わらないようです。
戦国時代の離婚
現代では離婚というとあまりいいイメージがありませんが、戦国時代では宣教師ルイス・フロイスがこう言ってます。
「日本では離婚が自由であり、妻はそのことが不名誉とらず、再婚もできる」
ちなみにこの頃ヨーロッパでは日本と大きく異なり離婚することは最大の不名誉とされていたので、さぞかしルイス・フロイスは驚いたことでしょう。
日本では離婚の際、夫から妻に言い渡すのが主流でしたが、妻が夫に対して言い渡すこともあったそうです。
中世において離婚をする際、夫から妻に対して離婚した証明書を与えることが慣習となっていました。
地域によっては分国法で定めてあり、この離婚証明書がないと再婚することができず、妻が前の夫の許可なく再婚すると妻と新しい夫が重婚の罪に問われていました。
ここで現代はというと
配偶者のあるものは重ねて婚姻をすることができない。
↑この条文により重婚すると後の婚姻が取消の対象となります。
配偶者のあるものが重ねて婚姻をしたときは、二年以下の懲役に処する。
その相手方となって婚姻をしたものも同様とする。
今も昔も重婚については罪に問われるみたいですね。
また離婚証明書があれば再婚できるとありましたが現代には中世にはなかった再婚に関する法律があります。
女は、前婚の解消又は取消の日から起算して100日を経過した後でなければ、再婚することができない。
ただし前婚の解消・取消の時に懐胎していなかった場合、前婚の解消・取消の後に出産した場合は適用されない。
現代では再婚できるまでの期間を100日としており、たとえ離婚証明書があったとしても100日経過しないと再婚できません。(ただし書を除く)
まとめ
いかがだったでしょうか。
戦国時代にも結婚や離婚に関する一定の慣習や分国法がり、これらを見る限り戦国の世でも比較的自由に離婚や再婚はできていたようです。
それは武士の間でも庶民の間でも共通だったされています。